園だより(2024年5月)
一雨ごとに成長し、緑濃くなる
自然界の動植物はなぜあのように素晴らしい色彩や形をしているのだろうか。私たちは例え、薬品や絵画材料を使っても決して同じように表現できないし、形に至っては私たちの想像を超えるものも存在している。しかし私たちの感覚や知識からすれば、あり得ない色の組み合わせであっても自然界のものはそれなりにうまく収まっている。決して奇異な感じがしたり、他のものから浮いたりしていない。色彩に関しても、ダーウィン流の進化があるのだろうか。兎に角4月から5月にかけての芽吹きから始まって花をつけ、新緑に輝く過程はその美しさをいくら強調してもしすぎることはない。そんな4月の初めの朝4時30分、辺りはまだ暗い。そんな中、一路富山県黒部市を目指した。大学を卒業して、50数年、学年40人のうち、8人の同窓生が宇奈月温泉に集まるという。運転手は80歳間近の私一人、距離は片道430km、雨模様、車のタイヤはスポーツ仕様で、横向きに少し溝があるだけのランフラットタイヤ、何年か前に雨の高速道路でスリップした経験のある同じタイプのものだった。別の車でと忠告も受けたが、慎重運転を心がけるということで、暗闇で小雨の降る中、一路越中富山を目指した。室内には流れる音楽がなかった。ただ力強く鼓動するターボエンジンが私の心を揺さぶり、期待に忠実に反応した。日ごろ混んでいる阪和自動車道や近畿自動車道も、さすがこの時間、ブレーキの世話になる事もなく、一気に通過し、門真で第2京阪に舵をきった。ここはいつもパトカーが目を光らせている高速道路、朝もやの中、安全運転で通り過ぎた。久御山ICを右折し、京滋バイパスに入った。雨は降り続いていた。長いトンネルを過ぎ、一回転して、名神高速道路に合流した。前方に近江富士のシルエットが迫ってきた。アウトレットで来たことがあった竜王を通り過ぎ、車は琵琶湖右岸を順調に期待に応えて進んでいった。しかし少し疲れたこともあって、多賀SAで簡単な食事と身支度を整えて、再び名神高速道路に車を進めた。トラックの通行は激しい。新聞で騒がれている物流問題はどうなるのだろうか。米原で北陸道に入ると、さすが交通量は少ない。飛ばしてはいけないと思いながら、ついアクセルを強く踏んでしまうことがある。賤ヶ岳古戦場の木之本ICを過ぎると、福井県は目の前に迫ってきた。敦賀に到着。街からだいぶ離れている。ここを過ぎると、上り線と下り線が逆になって別れてしまう。その理由がわからない。越前、鯖江を過ぎるともう福井市。永平寺、勝山、大野方面行の中部縦貫自動車道の入り口が見えてきた。子供の夢を乗せた恐竜博物館ももうすぐだ。56年前を思い出した。当時アルゼンチンに駐在していた。日本から来た会社の人にはブエノスアイレスの名所を案内したが少し日程に余裕がある人には60kmほど離れたラ・プラタ市を案内した。そこには博物館(Museo de La Plata)があった。私は全然興味がなかったが、南米で発掘された恐竜が所狭しと展示されていた。いつでも入場できた。しかし今となってはその博物館が世界的に有名となり、見学に予約が必要と聞いた。そんな昔話を思い浮かべながら、北陸道をどんどん北上し、あわら市から石川の加賀市に入った。時刻は8時前、尼午前SAに入った。ほぼ休みなく走ってきたので、さすが少し疲れを感じ、休憩をとった。20分後に出発したが、予定より早く着きそうなので、2月のブリで毎年お世話になる氷見市の魚吉さんに向かった。何年ぶりだろう氷見に来たのは。しかし氷見の商店街は水曜日休みであった。残念だと言うより計画性のない私が悪かった。富山市に引き返した。越中富山は大きな町であった。市内は有名なLRT(路面電車)が走っていた。昼時であった。おいしいものを食べたかった。ネットで見たNHKの隣のすし屋に入った。握り定食を注文した。大阪でそれなりの寿司を食べたこともあるがここの寿司のおいしさは格別であった。13時ころそこを出て、宇奈月温泉に向かった。長い旅であったが、案外疲れを感じなかった。最初に到着した。しばらくして京都からT君がやってきた。その後東京や尼崎から全員到着した。揃って食事を楽しみ、過去のこと、今のこと等いろいろ話に花を咲かせた。次の日は朝から梅田の病院で定期検診があるので、夜の8時30分、強い雨が降る宇奈月を後にし、一路堺に向かった。夜の高速はトラックが多い。雨が降る暗闇の中、それらのトラックを抜き去るのに少し神経を使ったが、午前1時無事我が家に到着した。
今月の気になった言葉。人間は他人を引きずり下ろして、快感を得ようとする弱い一面を持ち合わせています。それは昔も今も変わりません。特に貧しくて心に余裕がなくなる時、他人にも残酷になって心を傷つけてしまいがちです。貧しさに耐えながら懸命に働く父親の姿に愛を感じ取った少年の姿とは対照的です。貧しさは人間の持つ両面を浮き出してしまうのです。これは物質的な豊かさにも同じことが言えます。豊かであるがゆえに、人にやさしくできる人もいれば、逆に人を見下して、冷たくあしらおとする人もいます。貧しさにしろ、豊かさにしろ、私たちは自分が置かれた環境でどういう生き方を選択するかを常に迫られながら生きています。
長い連休の後、子どもたちは4月当初の入園時に戻ってしまうことも見られます。しかしこれは全く一過性のもので、すぐに幼稚園のことを思い出し、元気に活躍することになります。先生方が精一杯だと思ってやっていることも、保護者の皆様からは時にはまだまだと叱咤激励されることもありますが、皆様方の信頼に応えていくことができるよう取り組んでまいります。ご支援、お力添え宜しくお願い致します。