鳳幼稚園

園だより(2020年10月)

9月初めAさんが死んだ。享年93才、若い年ではなかったが、死んでいい年は存在しない。長年JAの組合長の運転手として、定年まで勤めあげた。いろいろ秘密なことも知っていたと思うが、そんな個人的なことは、だれもが知っている以上のことは決して口外しなかった。定年後も3年間、同じ職を務め、63才の時に縁あって美木多幼稚園のバスの運転手になった。Aさんは一番の年長者でなかったが、持ち前の性格の良さによるものか、すぐに運転手の取りまとめ役になると同時に、その損得のない気性からか、若い先生にも人気があり、何でも相談に乗っていた。又幼稚園の為に率先して先頭に立って活躍した。その後70才になり、東区南野田に特別養護老人ホームハーモニーを開設したために、そこの運転手になった。家に近いことも大きな理由であった。そこでも人に好かれる性格と男意気でどの職員からも慕われ、信頼され、自分の居場所を確保することができた。80歳くらいまでは近場の送迎などをしていたが、それ以降は施設内で軽トラックの運転があっても、送迎に出ることはなかった。90歳を目前にして、免許証の返納をし、息子さんに送ってもらってハーモニーに通勤した。ハーモニーに移ってしばらくして、Aさんに「一生ハーモニーで面倒見るから、途中でやめてもらうようなことはしないから、たのむで」と本気で言った。そのことがAさんには本当にうれしかったらしく「理事長がこんな事言うてんね」と知り合いなどによく言うことがあった。そのためでもないが、本当によく働いていただいた。送迎バスの運転手をやめた後、さまざまな樹木に囲まれた9000㎡のハーモニーと6000m²のハーモニー美木多グループホームの植木の剪定と草刈りを一年かけて毎年行ってくれた。そのお陰で、いつも花の絶えることのない老人施設を維持できた。そのAさんが今年になって弱弱しくなってきた。私も口には出さなかったが、心配していた。そしてある日、息子さんからトイレで倒れて、病院に入院したとの知らせを受けた。今の時期面会はできなかった。しばらくして療養型老人病院に転院した。この世で最後の場所であった。転院してからあまり日がたっていなかった。葬儀は家族で行い、だれも参列しなかった。施設と職員からのお悔やみを届けに行った。職員にはお墓の場所を知らせるように言われていた。死んでよかったとはだれも言えない。人に良い影響を残してこの世を去ったという事実は私にとっても一つの区切りであった。最近の敬老の日に因んで、100歳以上の人が5万人を超えたとか、毎年1万人の減少なのに、今年は5万人も新生児が減ったとかの報道がなされている。そんな中でも元気に私たちの仲間に加わる赤ちゃんの誕生がある。10年後、30年後、50年後、どのような運命が待っているのだろうか。個人の意思で解決できる問題もあれば、社会的状況に翻弄される問題もある。どんな場合でもお父さん、お母さんの愛情を受けて生まれ、育ったお子さんが天寿を全うしてほしい。それはご両親の願いだけでなく、この地球上に住むすべての人の願いでもあるのです。ラボァジェの質量不変の法則でないが、誰かが死ぬと、同じ質量の誰かが生まれる。日本では死ぬ人が圧倒的に多いが、その分アフリカなどで増えているのか、はたまた未知の惑星で増えているのだろうか?人は生物体である以上、死はだれにでもやってくる厳粛な事実、そして誰も気が付かないふりをしている事実、直視したくない事実。Aさんは優しさと無私の心で一隅を照らしてこの世に別れを告げた。
10月からは2020年度の後半部、運動会、作品展、発表会などの様々な行事が控えています。子どもたちは着実に肉体的、精神的に大きく育っています。保護者の皆さまのご協力、ご支援を得て、充実した後半になるよう教職員一同精いっぱい努力してまいります。