鳳幼稚園

園だより(2020年2月)

1月,往く、2月逃げる、3月去る、3学期は光のように過ぎ去ってしまう。この間元旦を迎えたばかりだというのに、もう2月。今は受験制度の多角化で、この時期それ程悲壮感を持った受験生が多くない。しかしそれでも、「冬来たりなば、春遠からじ」の言葉を胸に秘めて、必勝を期す受験生がまだまだ多い。人は絶望的な状態、耐え難い環境、精神が苛まされる事象、人間関係が微妙な現実、そんな状態や関係、環境がいついつまでも継続し、先が見えない、希望がない状態になると、意欲やモチベーションが低下し、絶望的な気持ちになる。その意味で、辛いことの後には良い事が待っているというこの激励の文は今の受験生にはぴったりの言葉だろう。しかし少子化の為か、大学全入を迎えた今、受験勉強なんか誰の事?と考える受験生もいる。人は苦しいときには何か明るいことを、例えその可能性がわずかであっても、求め、予知し、生き続ける糧にし、苦しさから開放されようとする。今の季節にもこのようなことがあてはまる。寒い、寒い冬の真最中に「立春」という言葉が存在する。少なくとも暦の上では春が来たと思い、心の中に何かしら「温もり」が来ることを連想する。その後に余寒とか春寒とかいう言葉も存在するが、本格的に春に移行する前の季節の逆戻りとして、なんら春が来ることをさえぎるものでない。又春浅し、春めくという言葉を使い、春のうきうき感を演出しようとする日本人古来の叡智がもたらした心の暖かさであろうか。クロッカス、水仙、椿も私達に春の近づきを教えてくれる。白や黄色のクロッカスを見るたびに、過ぎ去りし1年の速さを悟り、水仙の花を見れば、恵まれない環境の中でも、白い清楚な装いで、私達を和ましてくれる。私は椿が好きだ。さざんかとよく間違えられる椿、武士の時代には落首と重なって忌み嫌われた椿、しかし日本古来の花、椿、五弁の椿や侘助の質素な椿、日本の椿は決して華麗で、華やかでないが、私達に訴え、ワビ、サビの世界に私達を誘い、一隅を照らして私達にほっとする雰囲気を醸し出す。茶道になくてはならない椿、西欧椿、所謂カメリアは品種も豊富で1000種類以上あるとか。又椿をめぐる争いが起こったり、超高値で取引されたり、今の錦鯉のように、品種改良をされ続けられた椿、一昔前までは黄色の椿を見つけた人には賞金を出すといわれた椿、幸運にもベトナムと中国雲南省の境で幻の黄色の椿が見つかったというニュース、そしてその葉を1枚日本に持ち帰って、日本にも黄色の椿が広まったという事実、椿のことを言われると、断片的な知識ながら、俄然筆が進んでしまう。1年に10cm位しか延びない椿、大きな椿の木を見ると思わず長年生き続けたことに畏敬の念を抱いてしまう。そして2月11日は建国記念日、戦前は紀元節、戦後はさまざまな議論を呼んでの建国の日、はなはだ個人的なことですが、私の母親は初代美木多幼稚園の園長で、父親と共に美木多幼稚園の礎を築いた。母は大正10年(1921年)2月11日生まれ、堺市立小学校の教員として勤務し、昭和53年に幼稚園を父と共に設立した。因みに私が33歳のとき。その母の名前が紀久子、紀元節から1字頂いたと千種小学校(鳳小学校)で勤務したこともある小学校教員の祖父(紀久子の親)から聞いたことがあった。今月は幼稚園にとって一番大きな行事、音楽・生活発表会の月、色々紆余曲折して今のような形の音楽・生活発表会が生まれた。音楽の指導、劇の指導で、担任も腕の見せ所、毎日毎日ハードな勤務が続きますが、子ども達の喜ぶ姿を見たい、その後ろにいる保護者の皆様の期待に少しでも近づけようと一生懸命です。又それを盛り上げていく裏方も担任以上に頑張っています。どうぞ当日は暖かい気持ちで見守っていただきますようお願い致します。御来園を心よりお待ち申し上げます。