園だより(2016年5月)
未来への遺伝子
新緑の緑が目にまぶしい。光に照らされたそれは誇らしげにその存在感を示している。 5月、その声を聴くと、頼りげない生まれたばかりの若葉が青年期の力強い、勢いのある大人の葉に成長してくる。この間の体操集会の冒頭で人の命を木々の葉に例えて話をした。理解している子もいれば、そうでない子もいたかもしれない。しかし何らかの形で頭の片隅に残っているはずだ。春になると、今まで枯れて、死んだふりをしていた木々が一斉に芽吹きを始める。薄緑色の小さな若葉は太陽の洗礼を受けて、徐々にその色を深めると同時に形も大きくなり、野山に木漏れ日を作っていく。成長し、最大限のおめかしをして、花や実で私たちに大きな楽しみを与え、次世代へ遺伝子を引き継いでいく。その後朽ち果てて、次の世代の養分になるよう最後の貢献をする。同じように、人類のできる最大で最高の創造物である人も、大きな愛情を持って育てられ、持てる能力に磨きがかけられ、善良な大人に育っていく。そして、純情無垢で怖いもの知らずの、見目麗しき青春時代に、お互い認め合う伴侶を得て、次世代へのバトンタッチの準備をしていく。その後さまざまな教養を後継者に傾注して、自身は大きな期待と満足感を持ってステージから消えていく。ただその期間が1年であるのか、80年であるかの違い、というような事を話した。人生80年は長いか短いかは人それぞれだろう。ある人はもう十分だと言い、別の人はまだまだもっともっとと言うだろう。しかし何歳だから死んでもいいとかいう事はない。死んでよい年齢は存在ないし、許される限り生き続けるのが、人の一生だろう。もし人以外の動植物が話すことが出来るなら、何と答えるか聞いてみたい。瞬間に生きるカゲロウ、命が短いトンボやチョウ、それに私たちのペットになっている猫や、犬、反対に鶴や亀にも聞いてみたい。樹齢何百年の大木にも問いたい。「長く生きてきて幸せだったか」と。人間界では男女共同参画が当たり前のように言われ、女性の社会進出が当たり前のようになっている。事実男性の育児への参加が急激に増えている。しかし家庭を持ち、子どもを育てる仕事は大変な仕事であり、これは女性の持つ種の保存能力に支えられた非凡な能力のなせるわざであり、この面に於いて、家事と育児という大きな仕事を遂行していることを女性は大いに自慢すべきかもしれない。子どもの一挙手一投足に喜怒哀楽を感じているお母さん、相談に乗ってくれる人が身近にいないお母さん、私たちはそんな不安や喜び一杯のお母さんと一緒に、子どもたちの生長を喜び、大きな発展につながっていく努力を一生懸命行ってまいります。私は昔の話をテレビや映画でよく見ることがあります。そして今だったら死なずに済んだのにとか、あの時なら松並木が枯れることもなかっただろうし、海ももっと綺麗だったなと思う時があります。そう、それが事実なのです。しかし当時治療法が分からなかったので死んだことが果たして不幸せであったのだろうか。反対に100年、200年後の人が振り返って、西暦2000年の人はあんな病気で死んだ、今なら何でもないのにと思うかもしれない。それは人の運命であり、限界かもしれない。逆に考えれば、昔の人はそのことを意識しなくても、今よりはるかに環境のいいところ、景色の素晴らしい所で生活していた。人は決められた器の中で生まれ、育ち、精いっぱい努力し次世代に遺伝子を残していく。そしてその中で最高の幸福を求めていく。考えれば小さな生き物であり、また大きな存在でもある。そんな夢みたいなことを考えている5月当初、今月も鳳丸は幸せと成長探しの旅に出ていきます。