鳳幼稚園

園だより(2015年5月)

木漏れ日が新芽で覆い尽くされた木々の間から柔らかな陽気を投げかけている、心地よい一瞬。春が私たちに背を向けて、初夏が薫風を送り届けている。春から夏への急激な変化が日々の真面目な営みを続けている市井の人々に大きな驚きを与えている。何はともあれ、分厚い衣服を着こんだ厳冬の寒さから身も心も解放されて、薄着一枚の軽快な季節に突入した。日本は四季の国、季節季節が本当に私たちに大きな刺激を与え、明日の活躍につながる栄養素となっている。無意識のうちに素晴らしい環境を享受している。日本に生まれてきてよかったと言える至福の時かもしれない。いや、こんな季節の移り変わりがあるからこそ、日本人は冬の厳しさや真夏の激しさにも耐えて、心にやさしさや、強さ、寛容さ、清さ、深さが生まれ、他者へ接する、それが母国人であれ、外国人であれ、独特のだれにも負けない気質になって表れている。幼稚園児はまだこんな移り変わりを片手で足りるほどしか経験していないが、これからその何倍、いや何十倍も経験を繰り返すことによって、人に対する大きな愛や寛容さ、真面目さや誠実さを身に付けてくる、時には身を犠牲にしてまでも【人の為に】と思う気持ちも生まれてくるのだろう。自己中心でなくて、利他的な気持ちが生じる、これも木々が様々に変化する四季があるからこそと思う。そんな素直で誠実な日本人の性質を逆手にとって、人をおとしいれたり、だましたりすることが増加しているのは誰から見ても絶対許せないことだし、拝金主義的な風潮が蔓延気味なのも、戸惑うところだろう。戦中生まれの私にとっては中学生頃に戦前のGNP(国民総生産)を越えたと言われ、様々な経済復興、目覚ましい物質文明の成長を目のあたりにしてきた。いまはとても行けなかったような場所にも訪れることができるし、食べることもできなかった食材も少し無理すれば、味わうこともできるようになった。嫌いなものはすぐに吐き出し、好きなものだけを食べるような幼子たちも出てきた。確かに昔と比較すると富み、贅沢になったと思う。しかし最近の政府の発表では子どもの貧困率の上昇が言われている。複雑な原因がこのような数値に現れたのかもしれないが、どの子どもにも何の責任もない。未来を担う21世紀の子ども達には健全で健やかな成長をしてほしい。目を覆いたくなるような残忍な若者による犯罪が報道される度にその思いは一入だ。時には幼稚園にも近所の人や役所からいじめ、虐待の問い合わせがある。地域でも子供たちの生長を見守っている証だが、プライバシーとの兼ね合いで難しい面もある。目を世界に向けると、伝える言葉が見つからないほどの悲惨な場面が満ち溢れている。本当に私たちと同じ人間なのだろうかと疑ってみたくもなる。その中で一番弱い立場の子ども達は虫けらのように扱われている。まだまだこれから素晴らしい人生があるというのに、生まれて数年で命を絶たれている。少しでもと思う気持ちは誰もが持っている思いだが、どのように実現していくかは非常に難しいし、逆に考えれば、あまりにも多くの不法移民となって欧州や米国に渡れば、その国が持たないのも現実だろう。複雑な問題を抱えた21世紀の地球号、一方を立てれば一方がたたない。こんな状況をうまく解決する方策はないのだろうか。怒れる神の逆鱗に触れる前に人の叡智で早く回答を見つけたい。しかしどんな状況になろうとも、身体的及び精神的に未熟である子ども達の保護が必要であり、又子ども達には最善のものを与えることが義務であることを私たちは心から認識すべきことで、これは1959年の国連の「子どもの権利宣言」でも明白に謳われている。日本の子どもの方がましであるとかいう意見もあるが、物質文明の観点からはそうであるかもしれないが、個々のケースを考えると、そうとは言えない面があるのも事実、幼稚園では私たち教職員がこのことを深く自覚し、子供の幸福追求の為に一段と研鑽を積んでいきたい。子どもの喜ぶ顔が見たい、そしてその後ろにいる保護者の喜ぶ姿を見たい、この気持ちを忘れることなく、今日も保育活動に誠心誠意取り組んでまいります。皐月、5月、新しい季節の始まりです。