園だより(2015年2月)
As the boy,so the man
今から50年以上前の高校生から大学生にかけての頃、音楽に大きな関心があった。何か演奏するとか歌うとか、グループを作るとかいうものでなく、ただクラシックの曲を聴き、友と語り、感動を共有することであった。窓に腰を掛け、ギターを弾きながら歌う格好良さに魅かれたこともあったが、自ら演奏を習うまでの意欲はなかった。石原裕次郎やその映画に魅惑されてサックスの猛練習をする友もいたが私には無関係であった。フルトベングラー、カラヤン、マゼール、トスカーニー等の巨匠の名前が会話の中でよく出てきた。クラシックのレコードもよく集めた。ステレオ全盛期であった。指揮者フルトベングラーのモノラル録音も電気的にステレオに変えられていた。各社ともオーディオの性能を競った。リニアトラッキング、デシベル、インピーダンス等々の横文字が氾濫した。M電器への入社はその影響もあった。初任給(29300円)の何倍ものオーディオ機器に憧れ、大きな決断をしたこともあった。ドルビーシステムが導入されたのもこのころであった。ドルビー内臓のデッキを売るためにせっせと海外向けのコピーを書いた。5か国以上の言語に翻訳されて、商品と一緒にそれぞれの国に送られた。門真の小さな事務所から世界に発信されるのは一種の驚きであった。しかし誰もそんなことは考えなかった。オーディオは日本を中心にまわっているという自負があった。兎に角、入口と出口の重要性、特に入口の大切さを考えていた。レコードプレーヤーもオープンリールデッキも各社精一杯の創意工夫がなされていた。当時大きな権威を持っていたオーディオ評論家も大きな流れを作っていた。タンノイ、JBL,オルトフォン、その他さまざまな世界の権威の名前も聞いていたが、井の中の蛙であった。音楽の世界と同様に、教育の世界でも入口の大切さはいくら強調されても強調しすぎることはない。「三つ子の魂百まで」「As the boy,so the man」3歳児の心は百歳になっても変わらない。3歳児から始まる幼児教育、それに続く小学校教育の重要性は否定できない事実であり、各国が最も力を入れているのもこの根幹の部分の教育だろう。その教育が他国を敵視したり、侮蔑するような偏向教育を行うと、その解消にはその教育を受けた何倍もの年月が必要だろう。私たちは世界に誇れ、世界中の人が羨むような行動様式、例えば、挨拶、礼儀を尊び、人をもてなす利他の心の教育、だれもが納得できる道徳教育、外国のいいところを取り入れた西洋流の教育、そして日本を愛する不変不屈の教育、そんな教育を目指していきたい。私たちは家族が大切であり、同じように友もそうだろう。そして故郷も今の住んでいる市町村、都道府県もそしてもっと大きく言えば、同じ運命共同体の日本も大切な大切なものです。しかしもっと大きく目を開けてみると地球は私たちの大きな大きな飛行船、仲違いをして空気が漏れたらそこまでの命。幸い欧米には源流のラテン語があるように、私たちには漢字文明がある。小さな利権ももちろん大切だが、大きな目標はもっと大切かもしれない。形のあるものはどんな立派なものでも、どんな立派な有名建築家によってデザインされたものでも、壊れる運命にある。しかし心の中に宿った教育は永久の物になっていく。そんなお手伝いを少しでもできれば、私たちはこの上ない幸せ者だろう。この間3年生の時に担任したクラスの同窓会があった。30年の歳月が顔、形を変えていた。日々楽しいこともあるが、苦労も多いのだろう。社会的地位もそれぞれ違うのだろう。しかしそんなことは関係なくあの当時のままで話している。オーヘンリーの「After 20 years」では20年後、二人は警官と犯罪者という設定であった。それはあくまで非現実の世界、社会的身分や地位は瞬間のもの、それより心の結びつきの方がよほど重要、ほんのちょっぴりでも彼らに影響を与えたのかなと自問自答する私がそこにいた。2月は一目散に逃げていく月、陽光の春にたどり着く最後の関所、気力、体力それに持ち前の明るさを持ってこの寒い最後の冬を余裕で乗り切っていこう。