鳳幼稚園

園だより(2014年11月)

あれから丁度1年、会場は旭川市から高松市にバトンタッチされて、全日本私立幼稚園連合会設置者・園長研修大会が開かれた。初日は13時開始、幼稚園での朝礼をいつものように終えて、9時30分頃、目的地をナビで設定し、堺を出発した。目的地まで220km、時間が計算できる行程であった。この時間帯ではどこも渋滞がなく、阪神高速堺線から池田線を通り、中国自動車道に入った。いつも混んでいる宝塚I.C のあたりもブレーキを踏むこともなく、一気に走り抜け、西宮北から山陽道に入った。まだ紅葉まで(昨年の北海道は真っ最中)少し時間があるかなと思える山あいを高速で通り抜け、途中明石大橋の方へ針路を切る。名前は定かでないI.C の入り口から1台のグレーのクラウンが合流、思わずブレーキを踏み、横を見るとヘルメットをかぶった2人、指定速度以下に落として、覆面パトカーの前を走る。そのうちパトカーが私を追い越して、前方に移動、そのまま明石大橋手前の片道4車線のトンネル内を走行、その時一番右側の追い越し車線を高速で普通車が通り過ぎる。獲物を見つけたかの如くに、一番左側の車線から指示器を点滅させながら高速で右側に移動、追跡をしたかと思うとすぐに屋根の上の赤色灯の点滅、その車はパトカーの誘導に従ってトンネル出口で停車、横を見ると女性のドライバー、男女に差がないというものの、何か悲しい気持ちになった。パトカーを草原で獲物を狙う豹やライオン、チーターに例えるのは間違っているのだろうか。車の性能が良くなり、道路環境も整備された今、昔のままのスピード規制には若干の違和感があるのかもしれない。淡路島横断は快適な一直線の高速道、ほどなく鳴門大橋に着いた。橋の上から鳴門海峡を見ると、大きな渦があちこちで渦巻いている。潮の流れがそんなに際立って早いのだろうか。観光船が何隻もそれに群がり、近くでは多数の漁船も豊富な海の幸を求めて活発に動いている。昔鳴門にはよく来た。その時は岬町の深日まで自動車、そこから1時間フェリーに乗って淡路島の洲本へ、その後淡路島を横切って阿那賀から20分くらいのフェリーで鳴門に到着、時間的には今の兵庫県まわりとさほど変わらないが、フェリーの時間や乗船可能かどうかの心配をした。そんなに昔のことでないのに、遠い過去のような気がする。高松道は他の四国の高速道路がそうであるように、片側1車線の所が多く、四国に投資することの躊躇を垣間見たような気がするが、あまり不便さを感じないのは交通量のせいなのか。讃岐平野を貫く高松道は私をJRホテルクレメント高松まで連れて行ってくれた。JR高松駅は四国の鉄道の玄関口、海に近接している。昔ここから岡山の宇野市まで鉄道車両搭載の宇高連絡船が就航していた面影が随所に見られた。1955年(昭和30年)当時小学校5年の私の記憶にも紫雲丸事故が鮮明に残っている。死者168名、その内私と同じ位の小学校の児童の犠牲者は108名、悲劇の修学旅行であった。これを契機に四国と本州の連絡橋の構想が持ち上がったのも当然の話であろう。何回目かの高松が私を温かく迎えてくれた。今回は新しい幼稚園教育の制度に関する話がメインテーマであるが、香川大学教授による今話題の希少糖(rare sugar)についての話及びその研究過程で学んだ様々な知恵、処世訓等も有意義なものであった。文科省の役人は幼児教育の現状と課題について、戦後の出生数の推移や幼稚園及び保育所の利用者数の推移から始めて、子ども子育て新制度の導入についてその理由等を話された。様々な意見がある中で、この新制度もそれなりに導入されていくのだろう。現在新制度への移行幼稚園は全国的に20%強、この数字が多いか少ないかは議論の分かれるところだ。霜月、11月、今月は作品展の月、子ども達の力作、活動ぶりを是非幼稚園に来ていただき、ご自身の目で見て頂きたいと思います。子どもたちの生長と幸せを願って今月も保育に全力投球です。