園だより(2021年7月)
日本人の矜持
「梅雨晴れの明るい夏空とあなたの来訪を心より待っています。」「梅雨明けももうすぐです。どうか元気にこの憂鬱な時期を乗り切ってください。」の結びの挨拶の6月も終わり、「梅雨明けの夏空がまぶしい日々となりました。寝苦しい夏の夜、皆様ご機嫌いかがでございますか。」の時候の挨拶の7月、文月を迎えました。今月は山開き、海開きが毎年のように予定され、天の川、ロマンいっぱいの七夕祭りは子どもたちにとっては興味津々です。又京都の祇園祭や大阪の天神祭りもカレンダーの上では存在してもコロナのせいで中止、浴衣を着て、うちわをもって、暑い夏をいかに楽しく気分の上ですごしていくか、先人たちが考えた行事が全て中止、いやクーラーがあるから部屋の中で涼しく過ごそうと考えるのとは異次元の考え方の相違、自然の中で生かされ、自然の懐に抱かれ、自然の豊かさからちょっぴりおこぼれを頂く振る舞いが、私たちの中からするりと逃げていく。今年の7月は昨年同様、自然の営みから少しかけ離れた生活様式を強いられている。5年前のリオのオリンピックで、次の開催都市の東京がバトンを受けつぎ、日本中が歓喜の渦に包まれた。その開催が一年延期され、今年7月、いよいよ実現される。私にとっては1964年の第18回に続いての2回目、56年ぶりの日本での開催、それも私の10代と70代の時の開催、個人的には興奮や過度の期待はないが、前回の国威発揚の時とは様変わり、その変容と言えば、国民の大多数や一部マスコミが強く反対していたのに、近づくにつれて、賛成が圧倒的に増えてきた。世界各国から集うアスリートへの敬慕の表れだろうか?日本人のおもてなしのせいだろうか。同時に驚いたことにオリンピック村やその他の競技施設が世間一般で大きな反対のうねりがあった中でも、オリンピック関係の人たちは粛々と開催に向けて準備を整えていた。私たちは表面的に、無責任に反対、賛成を叫んでいるが、それに携わる実務者たちは英知と経験と自負の心と誇りをもって、やるべき仕事を着実に誰に知られることもなく、誰に自慢することもなく、淡々とこなしていた。コロナ禍の中でのオリンピックは普通の何倍もの努力と完遂力が必要だ。しかしそんなことは日本人の力量をもってすれば、たとえ国難だとしても、うまくやり遂げることができる。そんなオリンピックについて人はさまざまなツールを使って発信している。そのほとんどがオリンピックに否定的な意見、しかしどこかの国のように自由な発言が抑制されたり、禁止されたり、または身体を拘束される状態にはならない。発信者にとっては留飲を下げたり、ストレスの発散になっているかもしれないが、それが他人を貶めたり、非難するようになると、看過されない問題が生じてしまう。肉体的暴力は大きな苦痛やダメージを与え、死につながることもある。同じように言葉や文字の暴力は物理的でないが大きな大きな精神的打撃を相手に与え、死に追いやることもある。大多数の善良な小市民にとっては、肉体的暴力以上の苦痛を強いられることがある。私たちは他の動物よりも少し沢山知能を与えられた生き物だ。何もかも自分で判断できた。自分で考えることができた。自分で食べ物の安全や賞味期限を考えることができた。仲間ともうまくやっていけた。困ったときはお互い助け合い、知恵を出し合って困難をくぐりぬけてきた。人はおおらかで疑うことをしなかった。正直で素直であった。今は何の努力もなしに見たり、聞いたりすることやあまり価値のないものに心や時間を奪われてしまった。便利なツールは人間性の破壊かもしれない。ビートルズがインドに逃避し、大金持ちのロックフェラーの息子がボルネオの山奥に逃げ込んだのも人間性を取り戻したかったのかもしれない。そんな鷹揚な日本人を騙したり、利用する人がいれば、それは有害な存在以外の何物でもない。私たちは日本人の持っている人を信頼し、敬う心の優しい人間であり続けたい。