園だより(2018年5月)
三園、ともに協力し、力を出し合って
42年前に泉北ニュータウンO住区(鴨谷台)の開発に伴い、大阪府企業局の幼稚園設置者募集に応募して立ち上げた美木多幼稚園、建築図書だけでなく、幼稚園設置に必要な設備、遊具、教材などの予算及び購入の文書並びに設置に必要とされる教職員の配置と確保、専門家の手を借りずに何回もの行政との打ち合わせ、大阪府からの土地購入や園舎建設の資金、解決すべきさまざまな問題が次から次へと押し寄せてきた。幸い仲間や友達に恵まれ、書類上の問題はどうにか解決することができた。パソコンもワードもない時代、全て手書きの書類であった。一番の問題は資金であった。両親も私も一介のサラリーマンであり、1970年代後半の2億円は今でも大変だが、当時は想像を超えていた。両親の退職金や私の新築の家や先祖代々耕作してきた田地の売却、そして何よりも知人に紹介を受けた住友銀行堺支店の支店長が担保にならない調整区域の田畑を担保にして融資していただいたのが嬉しかった。父親は担保に入れることは隣近所の手前強く反対したが、私は無理を押し通した。それら調達した全ての金額と20年返済の私学事業団からの借り入れで資金のめどがついた。赤い瓦屋根の園舎の建築が始まった。日に日に完成に近づき、昭和53年4月1日に開園することができた。33歳のときであった。当初40人あまり、人数は心配していなかった。どうしたら子供が喜ぶか、どうしたら子供のためになるか、どうしたら保護者の皆さんに理解してもらえるか、応援団になってもらえるか。それまでの幼稚園にないこと、していないことを次々と取り上げていった。それが初代園長の人柄と相まって、加速度的に園児数が増えていった。しかし町が成熟するにつれて、園児数も徐々に減り始めた。諏訪森幼稚園は今から9年前に経営が厳しいから、協力してほしいといわれた。諏訪森は高校の友達がいたせいか親近感があった。諏訪森幼稚園は堺で2番目に古い幼稚園と知った。そして老若男女にかかわらず、地域に卒園されている人が多いと聞き、経営に参加させて頂くことになった。その後、認定子ども園として認可を受け、4年目になった。建物や土地購入に対する国や市町村からの補助金は幼稚園については全くないが、認定子ども園は国の施策でもあり、資金的には苦しかったが、一部補助金を受けて新しい建物が完成した。それから3年余り、教職員、保護者の皆さんのご理解により、園児の皆さんにも来ていただき、負債の返済も順調に推移している。これからも創立に携わった先人たちの意思を汲み取って、地域の幼児教育センターとして、その存在感を高めていきたい。鳳幼稚園は民営化に伴って応募し選考された。前の公立鳳幼稚園も長い歴史を持ち、決定される前に何回か見学にも言った。どことなく歴史を感じさせる幼稚園であったが、古い幼稚園を取り壊し、建物を新築した。幼稚園部門に対する国からの補助金は全然なく、大きな負債を抱えたが、鴨谷学園全体で見ると、負債よりも資産のほうがはるかに上回っている。三園に共通してこだわっている所はどの園も天井の高い遊戯室が備わり、子どもの安心、安全を考えて床が無垢のフローリングになっていることです。保育内容は地域的なことも加味して、園によっては多少の違いがあるものの、カリキュラムは三園共通しているところが多い。遠足も学年によって同じ場所に行くこともある。三園交流会も楽しいイベントです。三園の専門の講師の先生、音楽の小林先生、体操のコスモスポーツの先生、絵画の舟井先生、英語のECCの外人の先生等、皆共通の先生方であり、園独自の園内研修、三園合同での研修もよく行っている。また三園の園長、主任先生が毎月集まっての主任会では保育内容や制作物の話し合いをしている。三園が協力し、高め合いながら独自性を出して、子どもの健全な成長発達を図ることができれば至上の喜びだと考えています。皐月、5月、今月は連休が続きますが、子ども中心の保育活動にまい進してまいります。