鳳幼稚園

園だより(2016年9月)

長かった夏休みも終わりを迎えました。お子様が家にいる日常はどのようだったでしょうか。近くであれ、遠くであれ、子ども達と一緒に何処かに行って、楽しい忘れがたい思い出が作れたというご家族もいれば、疲れてくたくたになったというファミリーもおられるのではと思います。小さな子供たちのいるご家族を見ると、私も何人かの小さなわが子と過ごしたあの時を思い出します。今になったら、あの時に子どもたちにあのようにしておけばよかったと思うこともありますが、子どもといる生活、子どもを育てる喜びは子どもたちが親元を離れて初めて分かる何事にも代えられないものと思います。嫌なニュースに毎日苛まされているこの頃ですが、なぜあんな残酷なことが出来るのでしょうか。日本人は子どもを親の所有物と考えているのだろうか。アメリカで合った現地に長く住んでいる日本人は「アメリカは子どもたちの権利が十分に守られている社会、一人で子どもに留守番をさせたり、強い体罰を加えると、近所の人がすぐに警察に連絡して保護者は逮捕される。まして車に子どもを置き忘れて、その子供が死んだりすると、保護者は死刑になりかねない。子どもは親の所有物ではなくて一人の独立した人格である。」と言った。又付け加えて、韓国系の社会では儒教の影響だろうか、親子のきずなが強い故に、子どもに対する厳しい指導で警察のお世話になる事が多いと言った。子どもが家にいて楽しく過ごした人も、もう限界と感じた人も、それぞれ貴重な経験をされたことと思います。子ども達はきっといい思い出を持って、幼稚園に帰ってきたと思います。二学期は運動会を始め、様々な行事があります。皆様方のご支援、お力添えを頂いて、より素晴らしいものを目指してまいります。ご期待ください。
さて、今日は8月28日、私のいる部屋からガラス越しに、夏に三か月咲く花、サルスベリ(百日紅)の赤い花が私の心を和ませている。そのサルスベリの花を至る所でたくさん見た。そこは桜で有名なワシントン、日本から送られた桜の木も多いが、今花盛りのサルスベリも無視できない。中国や東南アジア原産のサルスベリがなぜワシントンに多いか私にはわからない。ホワイトハウスの敷地にもそれが咲いていた。その時見学中の私たちにそこから離れるように警官の厳しい声、バスに戻って出発したその時、爆音とともに、どこからともなく飛んできた三機の大きな黒いヘリコプターが川の上を機首をホワイトハウスに向けて降下していった。オバマ大統領が広島に来た時にテレビを通してみたのと同じ光景、おとり、本物、予備、それぞれ役割があるのだろう。そのワシントンへはニューヨークからアムトラック(列車)で3時間、日本の新幹線なら、1時間余りでついてしまうのにという個人的な思い、しかし飛行機との競争や、資金的な問題、その他私たちにわからない問題がたくさんあるのだろう。今回初めて関空からアメリカ西海岸に飛んだ。昨年就航した関空ロスアンゼルス線、10時間の旅、日本のエンタテイメントや日本語でのたくさんのビデオや映画を見られるので、JALが好きだ。昔アメリカ・日本・フィリピン路線にノースウエスト航空(今のデルタ)が飛んでいたが、この路線には一番古い機材を使用していた。乗っていて怖い思いをしたこともあった。JALも最新の機材でなく、座席レイアウトも古いものであった。昔乗った東京・シドニー線ほどでもなかったが。アメリカに行くのにはESTAの登録が必要。今回初めてLA空港でコンピューターでの入国手続き、日本語を選んで済ませたが、それでもまだ入国審査官の手続き、だいぶ並び、待たされた。厳格な審査が必要なある国の大きな飛行機が同じ時刻に到着したためにそのあおりを食ったと思うのは考えすぎだろうか。そこから乗り換えてアメリカ大陸横断、5時間余り、最初の目的地オーランド(ORLANDO)に真夜中に到着。日本を出て実に18時間、長いことは長いが18時間でアメリカ東海岸フロリダ半島にいるのは奇跡だ。戦前、志賀直哉や武者小路実篤が活躍した時代に比べると、隔世の感だ。ここはDisney World、日本の何百倍もあるとか、次の日、見学を終えて、一人部屋で日本から持っていった梅干し、ラーメン、ビン詰のなめたけや鮭のほぐし身、それに江戸っ子煮の缶詰、を食べて少し休憩していると、体に何か違和感、持っていった血圧計で図ると、普段は120~130余りが、180を超え、少し下がっても160くらいでそれ以上は下がらない。安静にしていても一向に下がらず、その上不安を感じてきたので、午前1時頃、日本で入った旅行保険のアメリカの担当者に電話、ガイドもいない中でこの時ほど携帯電話がありがたかったことはない。医療保険も含まれていることを伝え、この近くのEmergency(救急)の病院を教えてもらう。私の場合、Dr.Philip Hospital であった。夜2時頃、付き添ってもらって病院に到着、院内に入る前に飛行場と同じ荷物検査があった。すぐにトリアージ(triage, 患者の受診優先順位を決める)に行き、その後血圧と血中酸素濃度を調べてもらううちに不安感が消えていった。ドクターが出てきてどうしたのかと聞いたが、専門用語がわからずにいると、携帯電話を渡された。私が1台、ドクターが1台、そして1000km以上離れたニューヨークの保険会社の日本人女性が1台の3台で私が日本語で症状を説明し、N.Y.の彼女はそれを英語で説明し、ドクターはそれに応えて英語で彼女に、彼女は日本語で私に、まるで日本にいるように何ら不自由を感じなかった。その後少し診察を受けたが、1時間くらいでホテルに帰った。料金は無料、タクシー代も保険会社支払であった。次の日は朝から元気で体調が戻っていた。私にとっては初めての貴重な経験であった。いつも無駄金と思って払っていたが、保険は今回本当に役立った。