園だより(2014年6月)
6月、水無月、今月も期待
先日、東京から新幹線「のぞみ」に乗って帰ってきた。夜9時過ぎ、東京駅出発、2時間30分の快適な時間を享受させてもらった。私たちが対価を支払っているのだから当然だと言う人がいますが、この列車を安全に快適に運行させるのにどれほど多くの人たちが気を使い、神経をすり減らして仕事を遂行しているかを考えると対価以上の感謝を感じてしまう。うつらうつらしながら創業時のことを思い浮かべた。それまでは6時間30分であった。それが一気に3時間10分、ひかり号は夢の超特急、弾丸列車であった。老若男女を問わず、ただ体験するためだけに新幹線に乗った。新大阪を出て、名古屋往復が定番であった。50年前の話であった。大学生で近所のお年寄りを連れて行ったこともあった。混雑していて座席が無かったこともあった。この世での一つのいい思い出だったかもしれないが、今はもう誰も例外なく別の世界に行ってしまった。阪急電車と国鉄(JR)との景観に関する補償問題もなぜか関係のない私の頭に残っている。大きく報道されたせいなのか。京都に入ったあたりで、新幹線と並行して走るために今までの景色が台無しにされ、補償を払えというものだったと思う。京都へのお客が奪われるという阪急電車の危機感があったのだろう。何事も新しいことに対して本能的に拒否反応を示すのが昔から続いている私たち日本人の特徴なのかもしれない。生物体としての人間は確実に退化している、例えば食物の安全性や賞味期限の問題はそれぞれの個人で判断していたのが、今やその自信がなくなった。天気の予想に関しても気が付かないほどの小さな気象の変化にも注目し、明日の予報に役立てていたが、今はそれが全く話のタネだけに終わるようになった。科学的には今の方が優れているというものの、人間の機能が失われつつあるようで、残念で歯がゆい思いがする。エボリューション(進化)を繰り返して50年、新幹線の形状や性能は変わったが新大阪周辺やそれにつながるアクセスは開業時とほぼ同じ、その50年前に高校を卒業した私たちの古希を祝っての同窓会が先日あった。府立高校400名の卒業生のうち、90名余りが出席した。紅顔美少年や美少女のあの時の面影はどこへ行ったのやら。輪郭で少しは分かるものの、名前を聞いて無理やり思い出すのが精いっぱい。どの顔にも50年の風雪に耐えた重みや皺が刻み込まれていた。今は社会の一線から退き、引退している人がほとんどだが、現役の時には目を見張るような大活躍をしたのだろう。本四架橋公団で橋の設計に携わった人、スーパーゼネコンで副社長にまで上り詰めた人、弁護士や医者、自分で起業した人、今でも東南アジアで赤ひげ先生と慕われて活躍している医師、音楽家としてその能力を発揮している人、K大の野球部出身で社会人野球での活躍者、同じK大で野球部4番バッターとして息子が華々しく脚光を浴びたI君、外での活動はあまりなかったが子供を立派に育て上げた主婦の皆様、世間的にはたいしてスポットライトを浴びなかったが、一隅を照らす活躍をした大多数の皆さん。家に帰れば、あるいは世間では69歳や70歳と言えば高齢者でそれなりの思慮分別が備わっている範疇の人、しかし同じ仲間内では、いつまでたっても高校生、子供じみたセリフがあちこち飛び交っている。人は本当に進歩するのか。今になって若さに憧れ、嫉妬し、若者に迎合しようとするのか。結局人はこの世に生を受け、それなりの様々な経験を積み、子孫を残し、子供に帰って旅立っていくのか。その人生の中で小さな幸せを見つけ、刹那の冒険を楽しみ、肉体的、精神的に苦しみ、悶えながら一抹の光を希望の糧として生き続ける、その対象が何であってもいい、私たちに幸せと正義をもたらすものであれば。
今年の梅雨は少し長いとか。嫌われる雨も生きていくために大切な大切なものであることを子供達に十分知らせていきたいと思います。今月は「親子で遊ぼう大会」があります。一緒になっていい汗を流しましょう。そのお手伝いをさせていただきます。プールも始まります。水の楽しさ、怖さを正しく知るいい機会です。6月、水無月、今月も少しでも子供たちが何かを学ぶことが出来ますよう教職員一同力を合わせてまいります。ご期待ください。