園だより(2013年6月)
一蓮托生
私たちの体はいろいろな組織や臓器から成り立っている。それらは私たちの一部であり、私たちの意のままにどうにでもなると思っている。いわば私たちは絶対的な権力者であり、組織や臓器はその命令に背くことはできず、服従することは自明の理と考えている。実際そうであろうか。私たちが病気になり、精神的に追い詰められるのも彼らの一つの反乱と考えられないだろうか。もし彼らが明確な意思表示ができる独立した個体と考えるならば、私たちは生き続けるために彼らの意見をよく聞き、従順に対応することも必要だろう。そんなことを妄想しながら次のように考えてみた。胃や腸がなくても人は生き続けることができる、心臓や肺が機能していればと医学者は言う。胃はどう思っているのだろうか。前は自然食品だけだったのに、近頃は加工食品ばかり、たまに自然食品が来たと思ったら、薬品漬けになっていたりする。脂っこいものやゲテ物が多いと嘆いているかもしれない。たまには何にも毒されていない自然のおいしいものを食べたいと願っている。しかし主人は暴飲、暴食、反乱を起こす寸前であるかもしれない。腸はどうだろうか。昔は吸収性の良いものが多かったのに、今は油こいものや肉のかたまり等の固形物が多い。スムーズに腸の中を流れずに苦しんでいる。腸に穴があき、有害物質が拡散して腸壁を傷つけ、悪性腫瘍物が現れるかもしれない。もっともっと繊維質の多い食品を欲しがっているのも事実だろう。人が生命を維持するのに絶対必要なもの、心臓、一日10万回も鼓動しているのに、それが当たり前だと言われ、その割には少しでも不整脈があるともうだめだと弱気になる。なんと勝手だ主人は、と、憤慨している。そんなに心配なら過度のストレスを強いられたり、よどんだ血液を流さないでくれ、そして一回も休まずに働いているのだからもっと感謝しろと声高に叫んでいる。今は心臓を止めたり、バイパス手術をしたり、様々な心臓回復方法があるから大丈夫だと高を括っている人がいるが、事はそう簡単ではない。私たち人間は彼を怒らせないようにいくら気を使っても損にはならないだろう。生命維持に絶対必要なもののあと一つは肺。私たちは毎日空気を吸って、吐く動作を無意識に繰り返している。彼はそれが仕事だと思ってご主人のために一生懸命尽くしているが、怒りや納得できないこともあるだろう。そして思っているに違いない。工場の煤煙や車の排ガス、たばこの煙、今問題になっている中国からの有害物質、アスベスト粉塵、こんなもので苦しめないでほしいと。たまには都会を離れた田舎のいい空気を吸いたいと切実に思っているかもしれない。今、戯画的に4つの臓器を思うままに素人判断で書いてみましたが、私たちの体は様々な臓器から成り立ち、それが有機的に協力し合って毎日の私たちの活動を支えている。彼らがそれぞれ主張し、反乱を起こすとどうなるのだろうか。そうならないためにも私たちは日々彼らをねぎらっていかねばならない。年老いてからでは遅すぎる。今の小さな子供たちから健康に対する理念を持ち、その大切さを意識することはなんと重要なことだろうか。当たり前のこと、当然のことに敬意を払うことに躊躇する私たちにとって、こんな主人のもとで日夜一生懸命働くことはなんと無駄なことだと彼らに思わせないためにも。